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保次郎一家の移民生活


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ハワイの移民

 ハワイでは1860年代に砂糖産業が急速に発達し、労働力不足が深刻になった。地元のハワイアンは激減していたし、さとうきびプランテーションの労働力としても向いていなかったので、外国からの移民労働者が必要になった。

 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、南太平洋諸島をはじめ、ポルトガル人、ノルウェー人、中国人、日本人、フィリピン人などがハワイに導入された。特に地理的に近くてコストも安かったアジアからの移民が好まれ、中国人、日本人、フィリピン人(米国に併合されてから)が急増した。

 日本人労働者がハワイに来たのは、正式には1885(明治18年)年からである。ハワイ王国からの依頼でハワイ政府と日本政府との間に条約が結ばれ、日本からハワイへ移民が送り出された。この政府間の条約によってハワイに働きに行った日本人移民を「官約移民」という。

 初期の移民は、独身者や家族を日本に残してきた男性が多く、故郷に錦を飾ることを夢見てやってきた人々だった。1885年から1900(明治33)年の間に、約74000人がハワイへ渡った。1894(明治27)年以降は、王国政府が消滅したため移民事業は政府ではなく移民会社が行うようになっていた。

 移民会社による移民のことを「官約移民」と区別して「私約移民」という。また、1885年から、ハワイが米国領となる1900年までを「官約移民時代」といい、1900年から1907(明治40)年までは「自由移民時代」という。

 しかし官約移民(契約移民)だろうと私約移民(自由移民)だろうと、彼ら契約労働者は「半奴隷」だった。契約期間は三年間で、その間は耕地主に割り当てられた持ち場と仕事から勝手に離れることがでなかった。さとうきび畑では一日10時間、製糖工場では12時間、ひと月26日間働いた。賃金は男性12ドル50セント、女性10ドルだった。

 さとうきび耕地には「ルナ」とよばれる現場監督がいた。「ルナ」には体の大きなポルトガル人が多く、白人の耕地主と労働者たちの間に立って監督に当っていた。彼らは馬に乗って畑を監視してまわった。怠けていると怒鳴りつけ鞭をふるう、恐ろしい存在だったらしい。文化も人種も異なる「ルナ」との間にはコミュニケーションも成り立たず、移民たちは炎天下で鞭に追われて働きつづける日々だった。

 このへんのことは、工藤夕貴主演の映画『Picture Bride』(94年、米国)に詳しく描かれている。レンタルビデオも出ているので、興味のあるかたはご覧いただきたい。

 住居は、日本人キャンプ、フィリピン人キャンプというように、各エスニックごとにまとめられていた。しかし日本人の住居は豚小屋同然の長屋なのに、ポルトガル人やプエルトリコ人には一軒家が与えられていた。給料などの待遇にも差があった。

 日本人移民たちは、当初3年の契約があけたら日本へ帰ろうと考えていたが、現実には低賃金のため身動きできなくなっていた。1900(明治33)年にハワイが米国領になると、米国本土の「契約移民禁止法」がハワイにも適用されることになり、移民たちは「契約移民」という身分からは解放された。しかし労働条件は大して改善されず、お金もなかなか貯まらなかった。

 手ぶらで日本に帰るわけにもいかず、だからといってハワイでは稼げそうもない。そこで、ハワイよりずっと賃金の高い米国本土へ渡る者が出てきた。うちの曽祖父もその一人だったのだろう。また、日本から直接本土に渡るのは難しかったため、まずハワイにきてから米国本土へ渡る者も増えていた。この頃、1900(明治33)年から1907(明治40)年までは一般に「自由移民時代」と呼ばれている。

 しかし1907(明治40)年に、日本人がハワイから本土に転航することは米国政府によって禁止された。砂糖産業は低賃金労働者をなんとかしてハワイにとどめたかったし、アメリカ西海岸の排日主義者はこれ以上日本人移民が上陸することを嫌っていた。こういう事情が日本人の米国本土転航禁止に結びついた。

 翌1908(明治41)年には、日米両政府間に「紳士協約」が結ばれ、新規の労働移民を日本政府が「自主規制」することになった。これにより、ハワイの日本人は日本へ戻るかハワイにとどまるかのどちらかしか選べなくなった。ちなみに、曾祖父保次郎が本土へ渡ったのは1906(明治39)年なので、運よく合法的に本土転航できたのだろう。

 それでも、「紳士協約」はすでに米国で暮らしている日本人が家族を呼び寄せることは認めていた。そのため「呼び寄せ」という形で渡米することは可能だった。のちに1924(大正13)年の「排日移民法」で日本人移民は完全に禁止されることになるが、それまでの期間を「呼び寄せ時代」という。

参考文献
北村崇朗著 『一世としてアメリカに生きて』 草書房 1992年
黒川省三著 『アメリカの日系人』 教育社 1979年
高木真理子著 『日系アメリカ人の日本観 多文化社会ハワイから』 淡交社 1992年
鶴谷寿著 『アメリカ西部開拓と日本人』 NHKブックス 1977年
粂井輝子著 『外国人をめぐる社会史 近代アメリカと日本人移民』 雄山閣 1995年

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