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保次郎一家の移民生活


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移民の背景

 明治維新以後、日本でも年々米国への移住者が増えていき、1908年(明治41)頃には最盛期をむかえた。日本人移民が渡米した背景には、いろいろな事情があった。

 まず、移民を受け入れる米国側の事情としては、労働者不足という理由があった。

 もともとは日本人の労働移民よりも先に中国人の労働移民が米国に渡っていた。1849年のゴールド・ラッシュ以来、最初は炭鉱労働者として、次に大陸横断鉄道の建設要員として、大量の中国人が連れて来られた。低賃金で雇える労働力として重宝されたが、やがて中国人労働者は排斥され締め出されてしまう。

 しかし、西部開拓のためには、やはり莫大な労働力が必要とされていた。そこで、労働力不足を補うために受け入れられたのが、日本人労働者だった。低賃金で勤勉な日本人労働者は、やはり重宝がられた。

 次に、日本人側の事情としては、これも様々な理由があげられる。

 最初期には、没落士族が海外移住をしたり、勉強目的の学生や商売目的の事業家などという人々が多かった。しかし次第に出稼ぎ労働者も増えていった。経済的な事情(貧困)や、ひと旗揚げて「故郷に錦を飾ろう」といった考えから、海外へ仕事を求めたらしい。

 こうした労働移民のほとんどは、独身男性か故郷に妻子を残した単身者だった。そのため、米国に定着しようという考えはなく、お金が貯まったら日本に帰ろうという一時的な出稼ぎ目的の移住だった。

 米国へ移民を出した県は、広島、山口、和歌山、熊本、沖縄が多かった。福島や宮城を除く東北からの移民は少なかった。

 日本で渡米熱が高まるとともに、1900年代には多くの渡米案内書が刊行され、渡米奨励・斡旋団体が生まれた。渡米案内専門誌だけでなく、一般雑誌にも渡米関連記事が掲載された。また、大都市の主要新聞や、移民を多く送り出した地域の地方新聞には、現地報告や渡米記事が掲載された。

 渡米案内書には、旅券の申請などめんどうな手続きのしかたや、渡航準備から上陸後の生活まで細々とした注意事項が掲載され、英会話も載せられていた。日本政府の規制が厳しいなかでどうやって無事旅券を受給するか、どの港が上陸しやすいか、どんな検査があるのか、米国の移民法はどう変わったか、など最新の情報が載っているため、渡米しようという人にとっては非常に役立つ案内書だったらしい。

 日本政府としては、米国への移民を奨励していたわけではなく、1908(明治41)年の「紳士協約」で規制をかけるなど、むしろ移民を出すことには厳しい態度を取っていた。しかし、米国へ移住したい人々はあとを絶たなかった。渡米を斡旋する民間団体などの助けを借りて、どうにかして渡米したのである。

参考文献
北村崇朗著 『一世としてアメリカに生きて』 草書房 1992年
黒川省三著 『アメリカの日系人』 教育社 1979年
高木真理子著 『日系アメリカ人の日本観 多文化社会ハワイから』 淡交社 1992年
鶴谷寿著 『アメリカ西部開拓と日本人』 NHKブックス 1977年
粂井輝子著 『外国人をめぐる社会史 近代アメリカと日本人移民』 雄山閣 1995年

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